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対馬歴史地図(厳原) Total:2 (2)
対馬歴史地図(美津島) Total:1 (1)
対馬歴史地図(峰) Total:1 (1)

   データベースにある画像は 4 枚です    


最新リスト


円通寺(宗家佐賀館址)

 [13] 円通寺(宗家佐賀館址)高ヒット
投稿者yamanekoyamaneko さんの画像をもっと!   カテゴリー対馬歴史地図(峰)    前回更新2010-2-12 16:17    
ヒット数6775  コメント数53    
 佐賀(さか)には室町時代、宗氏の島府がおかれていました(1408〜1468年)。倭寇を鎮めて朝鮮国との通交につくしたのもこの時代です。円通寺の本尊である銅造如来坐像は高麗中期(13世紀)の作といわれ、損傷はなくやや赤みのある鍍金もよく残っています。梵鐘(李朝初期)も中国鐘の影響を受けつつ、朝鮮鐘の意匠で造られたもの。裏手には数基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、個々の所伝は不明ですが、中世宗氏(7〜9代?)の由緒ある墓所です。以上、県指定文化財です。
緯度 : 34.45752649 / 経度 : 129.36671734 / ズーム : 15

 


安徳天皇御陵墓参考地

 [12] 安徳天皇御陵墓参考地高ヒット
投稿者yamanekoyamaneko さんの画像をもっと!   カテゴリー対馬歴史地図(厳原)    前回更新2010-2-12 13:50    
ヒット数7726  コメント数69    
 永寿4(1185年)年、幼い安徳天皇は二位の尼と共に壇ノ浦で海の藻くずと消え去ったという歴史がある。しかし対馬の伝承では、安徳天皇は、落ちのびた九州で成人し、現在厳原町曲に住んでいる漁師(海士/海女)の祖先と共に玄海灘を渡って対馬に潜行し、その余生を過ごしたという。また天皇に関する地名伝説も数多く、内院や内山も関連があるようだ。明治以降、いろいろ検証が行われ、現在は安徳天皇御陵参考地の指定を受けている。浪漫を感じる御陵墓までの道筋には、石屋根や山野草が見られる。
緯度 : 34.17524007 / 経度 : 129.19162273 / ズーム : 15

 


城山(金田城)

 [11] 城山(金田城)高ヒット
投稿者yamanekoyamaneko さんの画像をもっと!   カテゴリー対馬歴史地図(美津島)    前回更新2010-2-12 13:43    
ヒット数5885  コメント数50    
663(天智2)年、滅亡した百済を復興するため、日本(大和朝廷)は大軍を派遣しましたが、朝鮮半島の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に破れました。その結果、逆に日本が攻め込まれる危険性が出てきたため、緊急に国内の防衛を固める必要があり、664年に防人と烽(のろし)が各地に置かれ、対馬でも667(天智6)年に浅茅湾の南岸にそびえる城山(275m)に金田城を築き防衛の拠点としました。現存する遺構としては、一の城戸、二の城戸、三の城戸、東南角の見張り台のほか、それらを取り巻く石塁もよく残っており、近年は史跡整備や発掘調査も毎年行われていて、興味深い成果があがっています。訪れた人を1300年余り昔の世界へと誘い、また晴れた日には山頂から韓国の山脈が眺望できます。
緯度 : 34.30218081 / 経度 : 129.27324772 / ズーム : 15

 


3

 [10] 3高ヒット
投稿者yamanekoyamaneko さんの画像をもっと!   カテゴリー対馬歴史地図(厳原)    前回更新2010-2-12 13:40    
ヒット数6907  コメント数46    
貞観12(870)年3月5日「日本三大実録」の授位にその記載があり、上県の佐護と下県の豆酘に天道法師伝説の信仰として天神地祇を祀った古い神社で、社のない磐座(いわくら)の祭壇で有名。豆酘観音堂の森には、高御魂(たかみむすび)神社、神住居(かみずまい)神社、多久頭魂神社遙拝所(竜良山の霊山霊地)即ち観音堂、国本神社、伽藍社、師殿(いくさどの)神社、その他数社あり、明治以後神仏分離により多久頭魂神社遙拝所となったが、古くより観音堂と称し、古くは、豆酘政庁の豆酘寺のあったところ。ここには、宗氏が政治の実権を握る以前、阿比留氏が治めていたことを示す梵鏡(国指定文化財)と金鼓(高麗時代、重要文化財)、李王朝時代の仏像などが納められている。
緯度 : 34.12422192 / 経度 : 129.18679476 / ズーム : 15