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第2回  ツシマヤマネコが捕獲された!! 平成8年9月1日

 七月六日土曜日の早朝、TV・新聞等でも報道されたように、上県町志多留において10年振りに幼いツシマヤマネコが捕獲されました。
 野田松雄さん方の水田で、シカ避けの魚網にひっかかっているところを奥さんの常植さんが発見、すぐに保護しました。「ツシマヤマネコを守る会」会長の山村辰美さんのお話しでは、前夜からずっと網にからまっていたらしく、山村さんが餌や水を与えると一生懸命食べていたそうです。その時に撮影した写真を見ると、おびえているというより、網から解放されてどこかほっとしている様な感じさえします。
おそらく恐怖と痛みで夜の間はろくに眠っていなかっただろうとのことなので、安心して眠くなったのでしょう。
 現在は福岡市動物園で手厚く看護され、順調に回復しているそうです。
この猫の場合は、検討の末このまま
動物園で飼育していく事が決定しており、一般公開はしないとのことですが、映像や写真などの情報はより多く私達に届けられると思います。
 今回、子供のツシマヤマネコが捕獲されたことで、研究者の間ではツシマヤマネコの生態の解明に大きく貢献するだろうと言われています。
 まず年齢がかなりはっきりしていること。(今年の四月か五月生まれ)
素人考えでは大して問題ではないように思えますが、実は猫類に限らず、肉食獣の年齢は成獣だと正確にわからないのだそうです。従って、成長したヤマネコを捕獲・観察しても推定年齢を元にすることになるので、平均寿命や、繁殖時期、子育て期間などが曖昧なわけです。
 そして、子供から大人へと成長していく過程をつぶさに観察できる機会に恵まれたこと。これで、今まで謎とされたツシマヤマネコの一生が解明される時が来たと言えるでしょう。
 とは言え、つぶらな瞳の子猫が一生を(おそらく)動物園で終えることになると思うと、ふと感傷的な気分
になる時もあります。しかしツシマヤマネコという種にとってはこれが最善の策である以上、この子猫に幸多かれと祈るしかありません。(智)
 

 
ツシマヤマネコの飼育日記 その1 平成8年9月1日 
浦田明夫先生
対馬高校で教鞭をとるかたわら、ツシマヤマネコの研究を長年続けてこられましたが、現在は長崎総科大学で非常勤講師としてご活躍中です。今から
30年近く前、対馬高校でツシマヤマネコを飼育していた事をご存じない方も多いと思います。その時の体験を書いていただきました。
 
 
 
今、なぜツシマヤマネコか
 ツシマヤマネコ飼育ことはじめ
 生きものは、いつも自然の中では、食うー食われるの関係を維持して生きている。それはその成長を促すためであり、そして活動のエネルギーを得るためであって、それはどうしても有機物(他の生きもの)を外からとり入れなければならないからで、そのためには同じ生態系を形成している他の生きものが捕食の対象となるのである。
 さて、私がツシマヤマネコの飼育をはじめたのは一九六八年(昭和四三年)一月日から六年間、延べ六頭に及んでいる。
 この間の飼育を通して、ツシマヤマネコの生態をある程度把握できたのは、その後のツシマヤマネコの飼育研究の基礎となり、さらに野外における調査を続けることにより、その生態行動の概要がほぼ明確に浮きぼりされる貴重なものであった。
 最初の一頭は、厳原町久田、原田養鶏場さんが「これはツシマヤマネコと思うが…」と箱に入ったネコをもってこられたのが実はツシマヤマネコだったのである。当時、ツシマヤマネコに関する情報はほとんどなく、見る機会さえ恵まれない時に、原田養鶏場さんに最高の情報を提供いただいたことは知られざるツシマヤマネコの生態研究に大きな期待と進歩発展をもたらしてくれるものであった。
 私は、すぐにこの情報を長崎県文化課に報告し、指示を仰いだところ、当時、県指定天然記念物であったが、飼育が許可され、生態研究するよう依頼を受け、本格的に飼育研究に取り組むことになったのである。
 また、国分敏雄さんにより、一九六九年(昭和四四年)豊玉町で発見、保護された個体も、同時飼育をすることを許された。しかし、いずれも雄で、特に繁殖については雌を必要とすることは言うまでもない。
 動物を飼育するにあたっては、まずこの動物が何を食べるのか、どんな生活形態をもっているのかを知るのが普通である。しかし、ツシマヤマネコについては、これらについては皆目わかっていないのである。原田養鶏場さんがツシマヤマネコを私のもとに届けられた時、餌は何を与えようか、最初に考えたのである。水を与える。そしてどうせ野生のネコ類だから肉食にちがいないからと台所にあったブリの切れはしを箱に入れたところ、間をおかず食べはじめたのである。ほとんど警戒心はなかった。一つは空腹だったためではなかったろうか。私が予測していたよりはるかに容易に餌づいてくれて、これで飼育は大丈夫と胸をなでおろしたのである。ミルクもよく飲んだ。こうして、思いの他餌づいてくれたものの、今度は、いつ、どれ位の量を与えればよいのか、試行錯誤をくりかえしてなんとか飼育を続けることができた。食性を調べるために、いろいろなものを与えた。野外での主な餌はネズミかモグラ類である。私はその頃遺伝の実験のために多数のハツカネズミを飼育していた。結果がまとまった分はそれがそっくりツシマヤマネコの餌へと変っていった。ツシマヤマネコが野外でネズミ類を捕獲する様子を再現してくれた。鳥類も入手できたものは先ず、ヤマネコ様と一番に与えた。ヘビ類、カエル類も与えたがよく食べた。その他イネ科の植物も与えるとよく食べる。肉食性の動物がこうしたイネ科植物の緑葉を食べるのは、これは直接的な栄養源ではなく、消化剤的な役割をはたすのか、あるいは駆虫剤として利用されているのかもしれない。
 さて、こうしてツシマヤマネコの飼育をはじめて、気付いたのは、実は飼育に必要な餌代などは馬鹿にならないほどの出費がかさんでいたのである。毎日の魚、鳥や牛肉など、その時別に飼育していたツシマテン二匹とツシマヤマネコ二匹分。こうした事情が新聞に報道された。天然記念物を飼育させていながら餌代も出さないのは!この記事が目にとまった梅田みゆきさんの話しを聞いて中馬鮮魚店から、また山田精肉店からはカシワの頭など毎日届けていただくことになり経済的な心配はほとんど解消されたのである。本当にありがたいことであった。
 さて、これら天然記念物の飼育は対馬高校の生物研究室で行った。しかし、そのうち、生物教室に入ると異常な臭いに気付くようになった。それはツシマヤマネコに原因していることはすぐにわかった。私自身は嗅覚がにぶいこともあるが、特にひんぱんに生物教室を利用する生徒や野球部の部員、廊下を通る時にはおそらくその悪臭を感じていただろうと思うと冷や汗ものであるが、天然記念物ということで許容してもらっていた。梅雨の時期などはげしかったのではないかと思う。家に帰ると家族の者が変な匂いがすると言いはじめたのもこの頃で、ツシマヤマネコと接しているうち悪臭が衣服にしみついてしまったのである。それ以後は上衣をとりかえたり、ツシマヤマネコ用の白衣で飼育や観察を続けるようにした。衣服をちがえることは今まで結び付いていた両者の間のコミュニケーションがとだえることにもなるが、早くなれてくれることを期待してのことだった。しかし積る悪臭は私自身にも耐えがたくなってきた。幸いにも化学教室の裏の倉庫が空いていたので、新しい大型の飼育舎をつくり、ここに移動することにした。これによって飼育舎も約四倍の大きさとなると共に、より快適になり、運動量も増すことになったのは事実であると共に、まわりの人々はその悪臭から解放されることになった。

 ツシマヤマネコについて、そのすべては、私の著書
 対馬の自然誌I 「国境の島に生きる」にまとめている他、
 対馬の自然誌II 「ツシマヤマネコ」はその分布、生態、行動やそのデータを記載し、ツシマヤマネコの全てがわかる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平成8年9月1日 やまねこプレス2号 やまねこ学校より抜粋

 

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